3月23日 ティンポホンゲート〜ラバンラタ 晴れのちくもり
標高差約1500m 行動時間 約4時間30分
今日からいよいよ登山です。この日のために約1年前から準備してきました。
朝6時半、朝食のためにバルサムカフェというレストランへ行きます。我々が一番乗りでした。ビュッフェスタイルのため、前日の夕食とあまり代わり映えがしません。
朝食後、レセプションへ行き登山の手続きをします。個人手配のため、入山許可料やガイド料を別途はらい、IDカードをもらいました。このカードで登山の間中、登山者は管理されるようになり首からぶら下げてないといけません。
この交渉を私一人でやらないといけなくて、相手の英語が早すぎて聞き取れないのですよ。なんとなくニュアンスでわかるのですが、こういうときは日本人特有のイエース。
ツアーで来ているとガイドがやってくれるのに、ねぇ。
これがIDカードです。登山中は首からぶら下げていました。
下山後は記念品としてもらえました。
ツアーで来ていると登山口のTimpohon Gateまでのバス代がかかるのですが、我々はレンタカーをしていたため、そのまま車で行けました。
朝8時、Timpohon Gate から登りだしました。
これがメインの登山口であるTimpohon Gate
はじめは樹林帯の中を緩やかな登りだったのが、そのうち階段が続き出します。これが最後の小屋まで続くとは、この時は知るよしもありませんでした。
ほぼラバンラタの小屋まで階段状で、まっすぐに登って行く感じです。いわゆる急登ってやつで、これがしんどい。自分の歩幅ではなく、階段に合わせないといけませんから。
行けども行けどもラバンラタの小屋は見えず、キナバル山も見えず。
写真のような感じで延々と続きました。標高差1500m を4時間半かけてようやく今夜の宿泊所であるラバンラタにつきました。
時刻は午後0時30分ごろだったと思います。
大岸壁がそびえるラバンラタの小屋です。
これが明日にひびくようになるんですが、ちょっと良いペースだなあと思っていたら、同行の長男がやや高山病っぽくなりゼイゼイと言い出します。
この標高差1500m の登りでたぶん体力をつかい果たしていたのでしょう。部活もやっているし23km のマラソンも完走するしで、体力は心配していなかったのですがそこはまだ中学生、まだ私の方が体力がありました。部屋でずぅっと寝ていました。
登山道は整備され地元のガイドなどはサンダルで登っています。あとで気づくのですが、欧米人やマレーシアの人たちはほぼ全員が運動靴です。登山靴を履いているのは日本人だけ、ちらほらと日本人もいるのですがみんな登山靴。一発でわかりました、別に話しかけることもありませんでしたが。
ポーターはサンダル履きで荷物を運んでいます。
このお姉さんは頭から荷物をぶら下げて運んでいました。
今夜の宿泊所は我々は、ラバンラタのメインの建物ではなくその周りに衛星のように配置されている4つの小屋のウチのひとつ、ワラスハットになっています。ドミトリーの6人部屋を4人で使えました。
はじめはラバンラタに泊まりたかったのですが、ラバンラタは夏の穂高岳や槍ヶ岳のようで騒がしくトイレなどは汚く、ワラスハットで良かったと思いました。
ただ、同部屋の欧米人のカップルがイチャイチャと、中学生にとってはどう? と思いましたが。
そんなこんなでゆっくりと休養をとることができました。
3月24日 ラバンラタ〜キナバル山頂〜ティンポホンゲート 行動時間 約9時間
午前2時起床、ドミトリーにもかかわらずわりと眠れました。長男はあまり眠られなかった様子。ラバンラタで軽く食事をすませ、午前3時ガイドと待ち合わせをして出発。
150人ぐらいが一斉に出発するものですから、登山道は大渋滞。他人のヘッドランプのあかりで登られるぐらいで、自分のペースとは全然違います。
が、長男は出発早々ゼイゼイと言っています。ちょっと気にかかりましたが先を急ぎ、最後の小屋のサヤッサヤッ小屋まで約1時間で来ました。この頃になると列は乱れ、先に行く者休憩する者とバラバラになっていました。
空には満天の星空。
原村も長野県では星がきれいと言われそれなりに美しいと思いますが、比較になりませんしこの星空は足下にも及びません。それぐらいすごいし、すばらしい。
天の川が霧がかかったように見え、南十字星もはっきりと見えました。
星座が日本と違うため南十字星しかわかりませんでしたが、世の中こんなにも星があるのかと感動感激しました。
この辺りは花崗岩のただっ広い景色が広がるところ。
真っ暗でその景色は見えませんが、振り返ると登山者各々のヘッドランプの明かりが一列になって、それもまたきれいな景色でした。
このころ長男は登るのに苦労していました。
一歩、歩を進めるごとにゼイゼイハアハアと息を整えています。
富士山の標高を超えた辺りからがしんどかったようです。軽い高山病の症状と昨日の登りの疲労が重なって、帰国してから言うのですが「あの時、死にそうだった」と。
それをなだめすかし励まし、時には突き放し「ここであきらめたら、今後何をするのもすぐあきらめるようになるぞ」 「ここで待っとけ、お父さん登ってくるから」などなど。長男にしてみれば、なんでついてきたんだろう、うまく利用されたみたいに思っていたようです。
這々の体で4095m の山頂に着きました。
時刻は午前5時40分。標高差約800M を2時間40分かかりました。そのまま長男は岩陰に倒れ込みました。
しばらくして午前6時すぎ、東の空が明るくなり出します。
午前6時10分ぐらいには、太陽がゆっくりと登りだしました。
100人以上いる登山者から拍手や歓声が起こるのかと思っていたのですが、そんな人は誰もおらず静かに日の出を見ていました。
よく考えてみれば何年も山をやっていますが、あまり日の出を眺めた記憶がないなあと思います。夏山の場合は、日の出の時間はすでに行動しているのでそんな暇はなく、午前3時から歩き出したこともなかったと改めて気づきました。
山頂は写真を撮るための順番待ち、気がつけば太陽と反対の西の空にキナバル山の陰が写っています。ビッグシャドーと言うそうです。
4095m 東南アジア最高峰の山頂にて長男と
ビッグシャドー、あまり注目されていませんでした。
山頂に約1時間いて午前6時半ごろ下山開始。
振り向くとゴリラ岩と言われる巨大な岩や、写真で使われているもっとも有名なサウスピークなどが見られ、例の広大な花崗岩のなかを下って行きました。
ゴリラ岩
サウスピーク
この辺りで富士山の標高ぐらいです。
下りの長男はというと、やはりしんどそうです。
私はというと、コンディションばっちりで走ってでも行けそうでした。高山病などつゆ知らずなんともなかったです。でも標高が下がってくるにしたがい、長男の調子も上がってきました。
午前8時ごろラバンラタに到着、わりと先頭グループだったため窓際の良い席を確保でき朝食。午前3時の出発時には、ちょっと食堂に行くのが遅くあまり食べ物も残ってなかったのですが、今は十分にありました。
腹一杯食ってワラスハットに戻り、1時間ほどの休憩後午前9時すぎに出発しました。
ラバンラタの山小屋の全景、右の黄色っぽい建物がラバンラタ、
その斜め上の小さな屋根がワラスハット、この小屋に泊まりました。
登ってきた道を下るのですが、今日ラバンラタに泊まる人々とすれ違い、またそういう人々を支えるためのポーターやガイド、食料を運ぶ人たち、またまたラバンラタで使う道具や物資を運ぶ人たち。
なかには、お客さんのザックを2個担ぎ上げているガイドもいました。自分のとで、3個持っていますから大したもんです。
登りの時にはあまり気づかなかったこういう支える人たちがいてこそ、標高3300m という高所の山小屋であるにもかかわらず十分な食事や清潔なシーツが確保されているんだと思います。
富士山も見習ってほしいと思います。
ただ、それは我々が払っている入山料やガイド料なので、それが地元の雇用を生み出しているのですが。
3時間かかって標高差1500m を下り、午後0時半頃本部事務所に戻って来ました。
ここで最後の食事をして、2日間一緒だったガイドのフランシスさんともお別れ。
登頂証明書を10RM(約330円)で買わされIDカードは記念品にもらい、これにて約1年前から計画してきたキナバル山登山は終了です。
左が登頂証明書、右がIDカード
最後ティンポホンゲートでガイドのフランシスさんと。彼には私がガイドを
しているとはいいませんでした。それは礼儀としてですね。
キナバルマウンテンマラソンというのがありその結果表のようなもの、
下から5段目、日本人の名前もあります。
登山後の感想は、1回でいいわ、です。
そう何度も登る山ではありません。夏の穂高岳や槍ヶ岳のようで山の素人が多く、とりあえず登ってみようかという軽いのりで来ているみたいです。
まあでも、4000m を超える山に無事に登頂下山できたことは、ヨシとしましょう。
下山後はツアーできている多くの人はコタキナバルへ戻りますが、我々はレンタカーで来ているため自由。コタキナバルとは反対にある山の中の町、ラナウというところへラフレシアを見に行き、そこで宿泊しました。